タイタニックに乗船して生き残ったたった一人の日本人にまつわる驚愕の真実とは

タイタニックに日本人が乗っていた!

タイタニックの放映でまたタイタニックにまつわる様々な話題が取り沙汰されています。

  • オリンピック号の保険金めあてでわざと沈めたという都市伝説(謎の乗船キャンセルや氷山発見報告の無視,消えた双眼鏡など)
  • 船倉の石炭庫で発生した火災が沈下しないまま出航したという説(氷山を発見してもスピードを下げなかった理由)
  • デッキで音楽を演奏していた音楽家たちの実在

そんなさまざまな話題の中で,筆者が一番驚いたのが,

「タイタニックに日本人が乗っていた。しかも生き残ることができた」

という話。

さらにこれで終わらなくて,

なんとその方「細野正文」さんは,細野晴臣さんのおじいさまだったということ。

これには仰天しましたね。

タイタニック生き残りの日本人は,細野晴臣さんのおじいさんだった

細野晴臣さんがそのことを知ったのは,3年生の時。

ご家族と一緒に,タイタニックの映画(デカプリオが出た映画ではありません。1950年代に作られた映画)を見に行った帰りに,お父様がぼそっとつぶやかれたそうです。

お父さんがタイタニックに乗っていた,と。

相当びっくりされたそうです。

相当びっくりされたそうです。

当時おじいさんは,ロシアに2年ほど留学しており,帰るときにイギリスによって,そこからニューヨークにいくためにタイタニックに乗船したそうです。

たった一人の日本人だったとのことです。

他人を押しのけてボートに乗ったという汚名の返上

しかし,帰国してみると,「他の人を押しのけて船に乗った」という風評がおこり,1936年に68歳でおなくなりになるまで汚名返上ができなかったとのこと。

というより,言い訳されないままでお亡くなりになったということなんですね。

しかし,細野晴臣さんとの叔父さんに当たる方が,正文さんの遺品を整理していて,手記を見つけられたとのこと。

そこには,婦女子を押しのけてまで,というようなことはしておらず,船と運命をともにする覚悟だったことがかかれていたそうです。

叔父さんは,その手記によって汚名を挽回しようと奔走されたそうですが,戦争中のことで,なかなかそれがうまくいかなかったそうです。

それが返上されたのが,なんと90年代になってから。

デカプリオの出演したあのタイタニックの映画を作る際,タイタニック財団が調査にきてその手記を夜に出すことになった。

そのことがきっかけで,汚名返上ができたというわけです。

なんとも驚きの話ですね。

この内容は,こちらの記事に詳しいです。

唯一の日本人にして生き残りだった祖父

正文さんが帰国してから晴臣さんのお父さんが誕生されたとのことで,正文さんが生き残ることができたから晴臣さんが誕生し,あの世界的なYMOの音楽が世に出たんですね。

そう考えると,本当に運命を感じます。

金曜ロードショーで,5月7日と14日の2階に渡って,タイタニックが放映されます。

映画を見ながら,この中に日本人が一人いたんだなあ,

そしてその方は生き残って,将来細野晴臣の父になる方を世に生み出すんだなあと思って見るととても感慨深いですね。

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