「アイスマンには、今も生きている子孫がいる」。
そんな話を、テレビやネットで見たことはありませんか?
答えから言うと、見つかったのは子孫ではなく「遠い親戚」です。
2013年に、オーストリアのチロル地方で、アイスマンと同じ祖先を持つ男性が19人見つかりました。
でも、こう思いますよね。
「子孫と親戚って、何がちがうの?」「5000年も前の人と、どうやってつながるの?」
実は、この19人とアイスマンをつないでいるのは、父から息子へだけ伝わるDNAの小さな印なんです。
この記事では、DNAでわかったことを表にまとめました。
アイスマンの死因、最後の食事、体のタトゥー、「呪い」の話も、博物館の発表をもとにまとめています。
本物のミイラを見に行く手順と、料金や開館時間もわかります。
読み終わるころには、アイスマンの話を聞いても「それは親戚の話だよ」と説明できるようになりますよ。
この記事のポイントは以下の4点です。
- アイスマンの子孫は見つかっていない。2013年に見つかった19人は、同じ祖先を持つ遠い親戚
- 2023年のDNAの調べ直しで、東の草原の人の血はなく、トルコあたりから来た農家の人たちの血が濃いとわかった
- 死因は背中から射られた矢。2001年のX線で矢じりが見つかった
- ミイラはイタリアのボルツァーノの博物館で、小さな窓からのぞいて見られる
アイスマンに子孫はいる?DNAでわかった19人の親戚
- アイスマンの子孫はいる?19人は子孫ではなく親戚
- アイスマンの親戚はどこにいる?19人が見つかったわけ
- アイスマンのDNAでわかったこと 祖先と見た目
- アイスマンとは?エッツィの名前の由来と見つかるまでの年表
アイスマンの子孫はいる?19人は子孫ではなく親戚

アイスマンの子孫は、見つかっていません。
見つかったのは、アイスマンと「同じ祖先を持つ人たち」です。
2013年10月、オーストリアのインスブルックの法医学研究所が発表しました。
チロル地方の19人の男性が、アイスマンと同じ祖先を持っていたそうです(NBC News)。
研究者のワルター・パーソンさんは、「この男性たちとアイスマンは、同じ祖先を持っていた」と話しています(NBC News)。
では、なぜ「子孫」ではないのでしょうか。
子孫というのは、アイスマンの子ども、孫、ひ孫…とつながる人のことです。
19人がアイスマンの子孫だとわかったわけではありません。
ずっと昔のおじいさんのおじいさん…が、アイスマンと同じだったという意味なんです。
いとこのいとこのいとこを、何千年分もたどったような、とても遠い親戚ですね。
アイスマンの親戚はどこにいる?19人が見つかったわけ

19人は、オーストリアのチロル地方に住む男性です。
見つけたのは、3,700人の献血者のDNAを調べたからでした。
アイスマンのY染色体には、「G-L91」という珍しい印があります。
同じ印を持つ人を探したら、19人見つかったんです(NBC News)。
Y染色体は、父から息子へだけ伝わります。
だから、この方法でたどれるのは男性の家系だけです(NBC News)。
女性の親戚がいても、この調べ方では見つかりません。
19人というのは「見つかった男性の数」で、親戚の全部ではないんですね。
研究者は、スイスやイタリアのアルプスにも親戚がいるだろうと見ていました(NBC News)。
ちなみに、19人の男性には、このことは知らされていないそうです(NBC News)。
今の博物館の説明では、少し書き方がちがいます。
アイスマンと共通の祖先を持つ人は今ではわずかで、主にイタリアのサルデーニャ島とフランスのコルシカ島に住んでいる、としています(南チロル考古学博物館)。
チロルの19人は男性の家系の話、サルデーニャ島とコルシカ島は体全体のDNAの話です。
どちらも「遠い親戚」の話で、子孫の話ではありません。
アイスマンのDNAでわかったこと 祖先と見た目

アイスマンのDNAは、2012年に初めて読み解かれました。
2023年には、ドイツのマックス・プランク研究所が新しい方法で調べ直しています(南チロル考古学博物館)。
調べ直したら、前の答えが変わったところがあります。
| わかったこと | 中身 |
|---|---|
| 祖先 | 約8,000年前に、今のトルコあたり(アナトリア)から移ってきた農家の人たち |
| 前の研究から変わったこと | 東ヨーロッパの草原から来た牧畜民の血は見つからなかった。農家の人たちの血が、同じ時代の人より濃い |
| 肌 | 思われていたより濃い。中くらいから濃い茶色 |
| 髪と目 | 髪も目も濃い色。頭が薄くなりやすい体質もあった |
| 体質 | 心臓や血管の病気、太りやすさ、大人の糖尿病になりやすい体質。牛乳は苦手 |
| 血液型 | O型(Rh+) |
(南チロル考古学博物館 体の説明、南チロル考古学博物館 DNAのお知らせをもとに作成)
意外なのは、頭が薄くなりやすい体質です。
ただ、ミイラのそばでは9cmほどの髪の房も見つかっています。
だから、生きていたときに本当に薄かったかは、わからないそうです(南チロル考古学博物館)。
太りやすい体質もありましたが、山を歩く暮らしだったので、病気にはならなかったと見られています。
その後、同じ地域の石器時代から青銅器時代の47人のDNAも調べられました。
農家の人たちの血筋など、アイスマンの遺伝の特徴は、当時のアルプスの人たちに広く見られたそうです(南チロル考古学博物館)。
遺伝子で見ると、アイスマンはそのころのアルプスによくいる人だったんですね。
アイスマンとは?エッツィの名前の由来と見つかるまでの年表

アイスマンは、5300年以上前の男性のミイラです。
エジプトのピラミッドより古いんです(南チロル考古学博物館)。
アルプスの氷河の中で、自然に凍って残りました。
「エッツィ」とも呼ばれます。
エッツィーと書かれることもありますね。
名前を付けたのは、オーストリアの記者カール・ヴェンドルさんです。
見つかった場所の「エッツタール・アルプス」から取りました(南チロル考古学博物館)。
「エッツ氷河で見つかったから」と書いたページもありますが、見つかったのはシュナルス谷の氷河です。
最初の数週間で、あだ名は500以上も出たそうです。
| 日付 | できごと |
|---|---|
| 1991年9月19日 | ドイツ人の夫婦が、標高3,210mで見つける。氷から上半身だけ出ていた |
| 1991年9月21日 | 登山家のメスナーさんたちが見に来て、とても古いものではと考える |
| 1991年9月23日 | 氷から出して、インスブルックの法医学研究所へ運ぶ |
| 1991年9月24日 | 考古学者が「少なくとも4000年前」と見立てる |
| 1991年10月2日 | 測ってみると、国境からイタリア側へ92.56m入った場所だった |
| 1998年 | イタリアのボルツァーノの博物館で展示が始まる |
| 2001年 | X線で、左肩に矢じりが見つかる |
| 2012年 | DNAを初めて読み解く |
| 2013年 | 同じ祖先を持つ男性19人が見つかる |
| 2023年 | DNAを調べ直し、祖先や肌の色の答えが変わる |
(南チロル考古学博物館 発見、南チロル考古学博物館 アイスマン、南チロル考古学博物館 体の説明、南チロル考古学博物館 DNAのお知らせ、NBC Newsをもとに作成)
見つかったときは、山の事故で亡くなった人だと思われていました。
国境のすぐそばだったので、測ってどちらの国の側かを確かめました。
イタリア側とわかりましたが、調べるあいだはインスブルックに置くことになりました(南チロル考古学博物館)。
生きていたころのアイスマンは、どんな体だったのでしょう。
年は約46歳、身長は約1.60m、体重は約50kgと見られています(南チロル考古学博物館)。
今のミイラは、重さ約13kgです。
ほかの国の、保存状態のいいミイラの話は「ベルナデッタと美しいミイラたち」にまとめています。
アイスマンはなぜ殺された?死因と最後の食事、タトゥー、呪い、見に行く方法
- アイスマンの死因は?矢じりが見つかったのは2001年
- アイスマンはなぜ殺された?わかっていることと謎
- アイスマンの最後の食事は?脂たっぷりの野生の肉
- アイスマンのタトゥー(刺青)は61か所 何のため?
- アイスマンの呪いは本当?7人の死の中身
- アイスマンのミイラは見られる?博物館へ見に行く手順
アイスマンの死因は?矢じりが見つかったのは2001年

アイスマンの死因は、背中から射られた矢です。
はじめは、山の事故で死んだと思われていました。
2001年にX線で調べたら、左肩に火打ち石の矢じりが見つかったんです。
背中には、2cmの傷もありました(南チロル考古学博物館)。
矢は、鎖骨の下の太い血管を切っていました。
数分で、血が出すぎて亡くなったと見られています。
頭にも、ひどいけががありました。
矢を受けたのと同じころのけがと見られますが、倒れたときのものか、頭をなぐられたのかは、わかっていません。
矢の柄は抜かれましたが、そのとき矢じりが折れて、今も体の中に残っています(南チロル考古学博物館)。
自分で抜いたのか、相手が抜いたのかもわかりません。
亡くなった季節は、カバノキの皮の入れ物の中にあった花粉とカエデの葉から、初夏とされています(南チロル考古学博物館)。
アイスマンはなぜ殺された?わかっていることと謎

殺されたのは確かですが、だれに、なぜ殺されたのかはわかっていません。
博物館も、仕返し、やきもち、上下の争い、欲などを挙げながら、答えは出せないとしています(南チロル考古学博物館)。
わかっていることと、謎を分けるとこうなります。
| わかっていること | 謎のまま |
|---|---|
| 死ぬ数日前に、取っ組み合いのけんかをして、右手に深い切り傷を負っていた | だれとけんかしたのか |
| 追いかけられ、1人か何人かに襲われたらしい | なぜ氷河のほうへ逃げたのか |
| 高価な銅の斧を持っていた | 相手はなぜ、斧を持っていかなかったのか |
| 道具をその場しのぎで直していた | どんな仕事の人だったのか |
(南チロル考古学博物館 体の説明、南チロル考古学博物館 エッツィとはをもとに作成)
銅の斧は、刃の99.7%が銅です。
銅は、アルプスではなく、中部イタリアの南トスカーナの鉱石から取られていました(南チロル考古学博物館)。
そのころ、銅の斧を持っていたのは、位の高い男性でした。
だから、アイスマンは身分のある人だったと見られています。
族長、商人、羊飼い、狩人、まじない師など、いろいろな説があります。
でも、商人なら持っていそうな売り物は、持っていませんでした(南チロル考古学博物館)。
道具を急いで直していたので、しばらく村に帰れていなかったのでは、とも考えられています。
アイスマンの最後の食事は?脂たっぷりの野生の肉

アイスマンは、殺される少し前に、しっかりごはんを食べていました。
死ぬ30分から2時間前だったそうです(ユーラック・リサーチ)。
胃の中に残っていたのは、アイベックス(野生のヤギ)の肉と脂、アカシカの肉、ヒトツブコムギ(昔の麦)、毒のあるワラビの跡です。
研究者が驚いたのは、脂がとても多かったことです。
標高3,210mの高い山では、急に力が落ちないように、しっかり栄養をとる必要があります。
肉は干したものか、60℃より低い温度で軽く温めたものと見られています。
ワラビは、おなかの虫の薬にしたか、食べ物を包んだ葉が混ざったのでは、と考えられています(ユーラック・リサーチ)。
研究者は、死ぬ直前はとても安心していたはずと見ています。
数日前にけんかをしていたことを思うと、ふしぎですね。
アイスマンのタトゥー(刺青)は61か所 何のため?

アイスマンの体には、61か所のタトゥーがあります。
形は、どれも線か十字です。
今のタトゥーとちがって、針ではありません。
細い切り込みを入れて、炭の粉をすりこんだものです(南チロル考古学博物館)。
場所は、肋骨のまわり、腰、手首、ひざ、ふくらはぎ、足首です。
どれも、ふだんは服で隠れるところです。
だから、おしゃれのためではないと考えられています。
関節がすり減って痛かったところにあるので、痛みをやわらげる治療だった、という見方が有力です。
今も使われるツボの線の上にあることも、この説を後押ししています(南チロル考古学博物館)。
5000年前に、はりのようなことをしていたのかもしれませんね。
アイスマンの呪いは本当?7人の死の中身

「アイスマンに関わった人が次々に死んだ」という話があります。
2005年に、イギリスの新聞が「呪い」として報じました。
挙げられたのは、この7人です。
| 人 | 関わり | 亡くなったときのこと |
|---|---|---|
| ライナー・ヘンさん(64歳) | 体を調べた法医学者 | 1992年、車の事故 |
| クルト・フリッツさん(52歳) | ヘンさんを現場へ案内した登山家 | 雪崩 |
| ライナー・ホルツさん(47歳) | 掘り出しを撮った映画監督 | 脳腫瘍 |
| ヘルムート・シモンさん(67歳) | 見つけた人 | 山で吹雪にあう |
| ディーター・ヴァルネッケさん(45歳) | シモンさんを探した救助隊の隊長 | シモンさんの葬儀の数時間後、心臓発作 |
| コンラート・シュピンドラーさん(66歳) | 体を調べた考古学者 | 多発性硬化症の合併症 |
| トム・ロイさん(63歳) | アイスマンを調べた分子生物学者 | 死因ははっきりしなかった |
(Gulf News(2005年11月6日)をもとに作成)
でも、表を見るとわかります。
事故、病気、山の天気と、亡くなり方はばらばらです。
アイスマンには、見つかってから、たくさんの研究者や救助の人が関わってきました。
見つかった1991年から報道の2005年まで、14年のあいだのことです。
年を取った人や、危ない山に入る人もいました。
呪いを示す証拠は、ありません。
怖がらずに、博物館へ会いに行ってみてください。
アイスマンのミイラは見られる?博物館へ見に行く手順

本物のミイラは、イタリアのボルツァーノにある南チロル考古学博物館で見られます。
1998年から展示されています(南チロル考古学博物館)。
ミイラは、氷河と同じ状態にした冷凍室の中です。
温度は-6℃、湿度は99%に保たれています。
乾かないように、ときどき水をかけているそうです(南チロル考古学博物館)。
見に行くときは、この順で進めます。
- 博物館のサイトで、開いている日を確かめる。月曜は休み(7〜8月と祝日は開く)
- 予約する。入口に長い列ができるので、予約がすすめられている
- ボルツァーノのムゼウム通り43へ行き、窓口で入館券を買う。現金かカードで払える
- 冷凍室の小さな窓から、ミイラをのぞいて見る
- 服や道具の展示も見る。服や道具は、ていねいに直して並べられている(南チロル考古学博物館)
| 入館券 | 料金 |
|---|---|
| 大人 | 13ユーロ |
| 割引(27歳未満の学生、65歳以上など) | 10ユーロ |
| 6歳未満 | 無料 |
| 家族券(大人2人と16歳未満の子ども) | 26ユーロ |
| オーディオガイド | 4ユーロ |
(南チロル考古学博物館 開館時間と料金をもとに作成)
開館は、火曜から日曜の10時から18時です。
最後に入れるのは17時30分です。
12月24日と31日は15時まで、1月1日、5月1日、12月25日は休みです(南チロル考古学博物館)。
料金や時間は変わることがあるので、行く前に公式サイトで確かめてくださいね。
まとめ
最後に、この記事の中身をふり返ります。
アイスマンの子孫はいる?19人は子孫ではなく親戚:子孫は見つかっていません。2013年に見つかった19人は、同じ祖先を持つ遠い親戚です。
アイスマンの親戚はどこにいる?19人が見つかったわけ:オーストリアの献血者3,700人から、Y染色体の同じ印を持つチロル地方の男性19人が見つかりました。今の博物館は、共通の祖先を持つ人は主にサルデーニャ島とコルシカ島にいるとしています。
アイスマンのDNAでわかったこと 祖先と見た目:祖先は今のトルコあたりから来た農家の人たちです。2023年の調べ直しで、その血が同じ時代の人より濃く、肌も思われていたより濃い色とわかりました。
アイスマンとは?エッツィの名前の由来と見つかるまでの年表:5300年以上前のミイラで、1991年9月19日に見つかりました。名前はエッツタール・アルプスから取りました。
アイスマンの死因は?矢じりが見つかったのは2001年:背中から射られた矢で、数分で亡くなったと見られています。
アイスマンはなぜ殺された?わかっていることと謎:殺されたのは確かですが、だれが、なぜかはわかっていません。
アイスマンの最後の食事は?脂たっぷりの野生の肉:アイベックスとアカシカの肉、昔の麦を、死ぬ少し前に食べていました。
アイスマンのタトゥー(刺青)は61か所 何のため?:痛む場所にあり、治療のためだったと考えられています。
アイスマンの呪いは本当?7人の死の中身:亡くなり方はばらばらで、呪いを示す証拠はありません。
アイスマンのミイラは見られる?博物館へ見に行く手順:ボルツァーノの南チロル考古学博物館で、冷凍室の窓からのぞいて見られます。
「アイスマンの子孫がいた」と聞いたら、それは遠い親戚の話です。
5000年前の人と今の人がDNAでつながっているだけでも、すごいことですよね。


