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「後で後悔する」は間違いなのか? 実は正しい表現だった

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これは、Yahoo!知恵袋に出された質問です。

なぜ「後で後悔する」は間違いなんですか? たいてい「意味が重なるから」などと説明されているようですが、そもそもなぜ意味が重なると間違いなのかがわかりません。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1358681473

この質問に対してベストアンサーとされた方の答えを要約して示します。(原文は上記引用のリンクから読めます)

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「後で後悔する」という表記は適切

以下は、要約したものです。

「後で後悔する」という言い方が受け入れられるという視点は合理的です。

これは同じ言葉や概念を繰り返して強調する、いわゆる自明の理(Tautology)という修辞手法に該当します。

今の日本社会においては、「後で後悔する」という表現に対して批判的な人もいれば、そうでない人もいます。

耳で日本語を受け取る人々にとっては、このフレーズに何ら違和感はありません。それに対して、視覚で日本語を読む人々は、「後」と「後悔」に含まれる二つの「後」に違和感を持つことがあるわけです。

「後悔は結局後にするものだから、言葉が重複しているのは不適当」という意見があれば、同じように「後で復習する」や「後で思い出す」「後で再会する」も問題とされるべきです。

「先に復習する」、「先に思い出す」、「先に再会する」といった表現は、どれも現実的には不可能です。これらの行動も、後悔と同じく後で行うべきものです。

「歌を歌う」や「踊りを踊る」に対して違和感を感じる人はほとんどいないとされています。

日本語を目で読むのではなく、耳で聞いてすぐに消失する音として解釈し、その中で意味が重複しているかどうかを評価する必要があります。

「後で」という文脈があることで、「こうかい」が「航海」や「公開」ではないと明らかになり、日本語の同音異義語に関する問題も一定程度解消されます。

劇作家の井上ひさしは、このような効果を意識的に利用しています。たとえば、NHKの『ヒョッコリひょうたん島』の台本を書いたのも彼でした。

中国から来た漢字や漢語は、現在では日本語の一部とされています。その事実を無視し、日本語の意味よりも漢字の形に価値を置くというのは誤りです。

「後で後悔する」は適切な表現であり、その二重の表記にこだわるのは一部の人々が誤解しているだけです。

この問題は、口頭での表現を優先する人と書面での表現を優先する人の対立であり、哲学的には唯心論と唯物論の対立に類似している可能性があります。

 

同じ意味の言葉を繰り返す「自明の理」の手法

「後で後悔する」という言い方、それがいいと思う人もいれば、そうでない人もいます。

この言い回しは、同じような言葉や意味を二回言うことで強調しています。
耳で日本語を聞く人は、この言い方に違和感を感じないことが多いですよね。

でも、文字で日本語を読む人は、「後」と「後悔」で「後」が二回出てくることに、ちょっと違和感を感じることもあります。

「後悔は当然後にするものだから、同じ言葉を二回使うのはおかしい」と思う人がいれば、その考えに沿うと「後で復習する」や「後で思い出す」「後で再会する」も変だと言われるはずですよね

「先に復習する」なんて、現実的にはできません。これも結局、後でやるべきことです。

例えば、「歌を歌う」って言い方、違和感感じる人は少ないです。

これも、「自明の理」の手法ですね。

 

日本語って、耳で聞く言葉としてもあるわけで、その時に意味が重なっているかどうかを判断するのがいいと思います。

「後で」っていう言葉があるおかげで、「こうかい」が「航海」や「公開」と間違えられないし、言葉が一緒でも違う意味で使われることも少なくなります。

脚本家の井上ひさしも、このような日本語の特性を使っています。NHKの『ヒョッコリひょうたん島』の台本を書いたのも、実は彼です。

 

漢字や漢語も、今はもう日本語の一部です。だから、漢字の形ばかり気にして日本語の意味を無視するのは、ちょっと違いますね。

結局、「後で後悔する」って言い方、問題ないわけですね

この問題は、話す日本語と書く日本語、どちらが大事かっていう人々の違いからくるものかもしれません。それはちょっと哲学的な話にもなるかもしれません。

 

まとめ

話し言葉で、耳で聞くと違和感を覚えませんが、感じで書くと、「後」という字が重なるからという理由でおかしいと理由付ける。これは適切ではないというわけですね。

同じ意味の言葉を繰り返すことで強調すること、つまり「後で」という意味の言葉の言葉を繰り返すことで、別の意味に捉えずにすむこともあります。

頭痛が痛いとか、腹が腹痛だ、というようなこととは違うのですね。

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