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5000年前のミイラ「アイスマン=エッツィ」に子孫がいたという話〜エッツィの最後の様子についても

アイスマンという名前を聞いたことがある人は多いでしょう。

1990年代のはじめ,氷河から見つかった,非常に状態の良いミイラで,「アイスマン」と呼ばれています。

「エッツ氷河」で発見されたことから愛称「エッツィ」と呼ばれ,史上もっとも詳細に調査されたミイラとして有名で,「世界最古の冷凍ミイラ」とも言われています。

エッツィの子孫が現存した

 このエッツィ,なんと5000年前に生きていた人なのに,其の子孫が少なくとも2013年時点で19人いたことが判明しています。

世界最古の冷凍ミイラ“アイスマン”の親族が現世に生きていた!(オーストリア研究)

オーストリアのチロル地方の人々のDNAを調べた結果,わかったそうです。

この人達は,つまり,アイスマンと同じ先祖を持つ人達ということになります。

  

2013年当時の情報では,その後新たな子孫が見つかる可能性があると言われていましたが,2018年の情報では,13人に減っていました。

それから3年経った現在では,特に子孫が新たに見つかったという情報はないようですが,実に感慨深いですね。

研究や調査からわかったこと

エッツィは南チロルで暮らしていたことが分かっています。

亡くなった年齢は40〜50歳。

斧からわかること

2022年1月15日にテレビで特集されていたことからまとめます。

斧は、銅製。すでに高い精錬技術力が使われている、当時最先端の道具でした。

しかし、エッツィの暮らしていた南チロルでは、その精錬が行われてきた痕跡はなかったとのことです。

それでは、一体その斧ばどこからきたのか。

研究チームが長年かけて調べると、600キロ離れたトスカナ地方にその痕跡がありました。

素性成分がエッツィの使っていた斧とほぼ完全に一致。

交易が行われていたことを示すものでした。

すでに5000年前、地中海沿岸のトスカナで作られた斧が、600キロ移動して、アルプスのエッツィに届いたということを示していました。

エッツィがこの貴重な品を持っていた。これが意味するものは?

どうも平等な時代ではなく、地位の高さや裕福さがあったことを示すものです。

ということは、エッツィは、かなり高い地位か、かなり裕福な状況にあった人だったと言えます。

 

もの以外にも、この頃の遺跡の遺物からは技術を持った人そのものが移動した痕跡も残っています。

エッツィの斧は、当時盛んになり始めた技術革新や交易を、示すものだと言えそうです。

エッツィは、その高い魔分野暮らしにより妬まれたのか?

エッツィの遺品には沢山の武器や装飾品があります。

エッツィは、交易のためのものそのものを運ぶ人だったのではなかったのでしょうか。

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