昨日の晩ごはん、何を食べましたか? きっと答えられますよね。
でも…その記憶が「5分前」に突然頭の中に植えつけられたとしたら?
世界中の木の年輪も、歴史の本も、スマホの写真フォルダも、5分前に全部“それっぽく”作られたものだったら…?
そんなありえないようで、論理的には否定できない奇妙な思考実験が「世界5分前仮説」です。
この仮説は、20世紀の哲学者バートランド・ラッセルが提案したもので、「私たちが知っている“過去”は、本当に存在したと言い切れるのか?」という問いを投げかけます。
「世界5分前仮説」とは何か?

この仮説の内容はシンプルです。
「世界は実は、たった5分前に始まったのかもしれない。」
「え?何それ…」と思う人も多いかもしれません。
でもこれは、ただの冗談ではなく、哲学の世界ではとても真面目に考察されているテーマなんです。
この仮説のポイントは、「論理的に否定する手段がない」こと。
どれだけ昔の記憶があっても、どんなに古い化石や写真があっても、それが“5分前に”作られたものである可能性を完全には否定できない、というわけです。
ラッセルはこの仮説を使って、「私たちが過去と呼ぶものは、実は今の記憶や証拠に過ぎない」と主張しました。
つまり、過去は直接見たり触ったりできるものではなく、あくまで「現在の痕跡」から推測されているだけなんです。
「それでも私は覚えてる!」という反論が通じない理由

世界5分前仮説を聞いた人が最初に言う反論の多くは、こんなものです。
- 「でも私は1年前の出来事を覚えてる!」
- 「スマホの写真に日付があるじゃん!」
- 「木の年輪や地層は過去がある証拠でしょ?」
しかし、この仮説の“怖さ”は、こういった「過去の証拠」すら5分前に創られた可能性を否定できない点にあります。
例えば:
- あなたが持っている1年前の旅行の記憶 → 5分前に作られた“記憶”かもしれない。
- 地球の奥深くにある化石 → 5分前に地層ごと出現した可能性がある。
- 今読んでいるこの記事 → あなたが読み始めたという記憶といっしょに5分前に生成された
もちろん、直感的には「そんな馬鹿な」と思うでしょう。
でも哲学的には、「否定できないなら、可能性としては排除できない」というスタンスが重要なのです。
他の懐疑的な仮説との違い

世界5分前仮説は、以下のような他の有名な思考実験とも近い関係にあります。
仮説名 | 主な内容 | 焦点 |
---|---|---|
デカルトの「悪しき霊」 | 私たちが知っている世界は、すべて悪霊による幻想かもしれない | 「知覚」の信頼性 |
水槽の脳 | 自分の脳が水槽に入っていて、現実は電気信号で作られた仮想世界かも | 現在の「現実」の本物性 |
世界5分前仮説 | 世界と記憶のすべてが、5分前に始まったかもしれない | 「過去」の存在の確実性 |
このように、世界5分前仮説は“時間”に注目している点が他の仮説と少し異なります。
私たちが信じている「過去」が、本当に存在したのかどうかを問うているのです。
じゃあ、科学はこの仮説にどう立ち向かうの?
実は…立ち向かえません。
この仮説は「科学では証明も否定もできない」問題です。
なぜなら、科学は「観測可能」「実験可能」「反証可能」であることが前提だからです。
しかし、世界5分前仮説は「観測も反証もできない」ため、そもそも科学のルールの外にある話なのです。
哲学者カール・ポパーは、科学の条件として「反証可能性」を挙げました。「間違っていることを証明できる仮説」でなければ、科学とは言えないという考えです。
つまり、世界5分前仮説は“科学の議論”ではなく“哲学の議論”なんですね。
現代のポップカルチャーと「5分前仮説」

この仮説、実はアニメや映画、ゲームにも影響を与えています。
『マトリックス』
人間がコンピュータの仮想現実に閉じ込められているという設定は、「今信じている現実は本物?」という問いと通じます。
『STEINS;GATE』
過去の改変によって現在が変わり、登場人物だけが改変前の記憶を持つという構造は、世界5分前仮説と極めて近いテーマです。
『涼宮ハルヒの憂鬱』
世界がヒロインの感情によって改変されるという構図は、「いつからこの世界はあったのか?」という問いを物語の中で展開しています。
ポップカルチャーを通じて、多くの人が「現実とは何か」「記憶とは何か」に触れることができるようになりました。
「じゃあ、私たちは何を信じればいいの?」

世界5分前仮説は、私たちに「本当に確かなものって何?」と問いかけてきます。
でも、答えは簡単に見つかりません。そ
れどころか、「問い続けることそのものに価値がある」というのが、この仮説が伝えたいことなのかもしれません。
科学は「こうすれば証明できる」「こうすれば間違いを突き止められる」という手法を持っていますが、哲学はもっと根本的なところで、「その証明方法すら信じていいのか?」と問います。
この仮説が役立つのは、フェイクニュースやAIによる偽情報が溢れる現代において、「本当にそれは信じていいのか?」と立ち止まって考えるきっかけをくれることです。
おわりに:今この瞬間だけが“確かなもの”
「世界は5分前に始まったのかもしれない」
それが本当かどうかは誰にもわかりません。でもこの仮説が教えてくれるのは、「私たちが信じている“当たり前”は、本当に当たり前なのか?」という問いを忘れないことの大切さです。
たとえば、「昨日があった」と信じること。それ自体が、今この瞬間のあなたの“信念”にすぎないとしたら…。
この思考実験を通して、あなたはきっと、もっと深く、もっと柔軟に世界を考えられるようになるはずです。